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倉俣史郎の正体不明のシルエット

仕事において、私は常に体系化することを求められます。


コンセプトを言語化し、視覚情報を整理し、誰にでも伝わる論理的な構造を組み立てる。それはデザインという職能の本質であり、不可欠な工程です。


けれど、答えらしきものをを導き出したあと。 ふとした瞬間に、その対極にある場所へ行きたくてたまらなくなることがあります。


体系化できないものをクリエイティブでは求められますが、一方、違う仕事では体系化をひたすらする。

ありとあらゆるものに記号をつけて当てはめようとするんです。


言葉で説明し尽くせないもの。

なぜ美しいのか、魅力的なのかという問いに対し、ロジックが追いつかないほど圧倒的な純度。


誰かに見せるための演出ではなく、ただそこに在るだけで空気を変えてしまうような、場所。


今回、静岡へ向かうのは、そうした体系化の枠組みから一度自分を解き放つためでもあります。



既視感の正体と、記号化されないデザイン


SNSで消費されるもの、空間の多くには、どこか強い既視感があると感じます。それは、色や装飾といった分かりやすい記号で構成されているからなのか。


みたことあるもの、空間の多くは、体験のためではなく、第三者に見られること、見せることを主目的に設計されているものも少なくない気がします。


「そこはお客さまが使わないトイレだから」「来客がないエリアだから」と。

私は、この言葉を耳にする度に強い違和感を抱いています。

人に見せるためだけのデザインは、結局のところ、表面的な映えや記号の集積に回収されてしまうと思うからです。



即時的な理解とファスト・デザイン 


一目見て「◯◯ライク」「ラグジュアリー」「北欧風」と判別できる色や装飾。

これらはある意味わかりやすい記号な気がします。


一方、倉俣氏が静岡の「コンブレ」などで展開した、アクリルやスチールメッシュといった工業素材による空間には、そうした記号的な安易さがありません。


そのストイックなアプローチは、30年以上経った今もなお古びることなく、むしろ未知の体験として立ち現れています。


でも画像でしか見たことがないんです。

この目で確かめたいです。


私の手元には、倉俣史郎の「K-Series」があります。

ハンカチがふわりと自立したような、造形。

この捉えどころのないシルエットを前にすると、違和感が生まれます。

目に飛び込んできた瞬間に、調和しているのか?

という存在感と違和感。


部屋に置いてても調和しているのか?とずっと違和感があるんです。


その正体不明の違和感はまるで体系化へのカウンターです。


思考のチューニングとしての事前記事


今回、訪問前にあえてこの記事を書いているのは、あらかじめ自分の感覚を研ぎ澄ませておきたいから。

デザインの答え合わせに行くのではなく、あの削ぎ落とされた空間で、自分の感性がどう震えるのか。

そんな期待を抱きながら、静岡へ向かおうと思います。


記号化され、消費されていくデザインの対極にある、言葉にできないもの。

それを体感することが、今の私には必要だなと感じます。

 
 
 

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