新宿伊勢丹 丹青会
更新日:9月10日
ブランドさんのイベント企画などを今年もさせていただきました。
お越しいただいた方々のポートレート撮影をし、
オリジナルの背景と切り取った一瞬を合わせてデザインをしたフォト、そして
オリジナルのSNS用のイニシャルアイコンを作成してお渡しするイベントです。
効率よく綺麗な画像を生成することではなく、
ブランドが誇る世界観と、
いかにリアルな空間の熱量として持ち帰っていただくか、が個人的なテーマでした。
画面の向こうでどれほど高精細な画像が一瞬で作れる時代になっても、
写真の本質的な美しさは、実はデータそのものには宿っていないのかもしれないと思うことがあります。
最近では、ブランドのヒストリーや世界観すらも第三者によってAIで動画生成される場面を見かけるようになりました。
けれどそこには、決定的な違和感があるような・・・と私は感じます。
服のシルエットの美しい落ち感、生地が持つ固有の質感や重みが再現されておらず、チープに感じたり
さらには、服を着こなす人の美しい姿勢や佇まい。
ファッションを心から愛する人が身体を鍛え、装いと向き合ってきた時間から生まれる凛とした空気感。
そうした背景への「理解の深さ」までは、まだ、AIの計算だけでは捉えきれないのかな・・・と思うこともあります。
つまり、AI時代の本質的な価値はツールそのものにあるのではなく、
ファッションでいうなら、服や身体をどれだけ深く理解できているかという、人間の目線、そのものに立ち戻っているのだと言えるのかもと。
服をよく理解されているスタッフさんがフィッティングされたお洋服はやはり美しいです。
道具がAIになろうとカメラになろうと、対象への愛や敬意、解釈の深さがなければ、
生まれるものは薄っぺらなコピーなのかも。
深い理解を持つ人がプロンプトを書いたとき、初めてAIは表現の領域に足を踏み入れるのかも。
それが観ている人はわかる、わからないという議論に、時々ムズムズします。
現代における境界の揺らぎ
デジタルカメラや画像編集ソフト、さらにAI画像生成が普及した現代において、
「目で見える完璧なグラフィックを作る」
という点では両者の境目は曖昧になっています。
A Iを私も使用します。
だけど、「そこに実在するものを身体とその時の感性で受け止めて切り取ったのか」
そして
「内側から出てくるイメージや解釈を自らの手で立ち上げたのか」という、
制作の出発点にある時間と空間の捉え方こそが、
両者を分かつ根本的な違いではないかと思います。
そして、そこをもっと研ぎ澄ませたい、理解したいと!と心から思う最近です。
職人さんが生地を一枚ずつ手作業で仕立てていくように、対面で丁寧に対話しながら重ねた時間は、
非効率的かもしれません。
けれど、私にとって、やはりそういったものは特別に感じます。
自分はとってもアナログなんだと思います。
デジタルとアナログの境界で、写真という媒体が持つ体験について、
私自身が改めて考えさせられる、発見のあった貴重な機会となりました。


コメント